FERRARI 312T WORLD CHAMPION 1975

HASEGAWA 20252 (1/20)








2015年 5月 4日完成。

1975年のF1GPに参戦したフェラーリチームのマシンです。
ドライバーはニキ・ラウダ。
1/20F1キット7作目です。

1970年代前半のフェラーリは、スポーツカーレースでは勝ちまくっていたものの、
F1では60年代末からの不振をなかなか抜け出せないでいた。
そんな1974年、フェラーリは体制を一新し、後にフェラーリの社長から会長、
そして親会社のフィアット会長にまで上り詰める、ルカ・ディ・モンテゼモロをレースディレクターに起用、
エースドライバーのジャッキー・イクスを解雇し、BRMから出戻りのレガッツォーニとその推薦を得た
若手のニキ・ラウダを抜擢して、ようやく復調の兆しが見え始めます。

この時代のF1は大半のチームがコスワースのV8エンジンを使っていましたが、
フェラーリのようにエンジンを自社開発できるメーカー系チームはさらにパワフルなV12エンジンを使うことができ、
この時代もエンジンはパワフルでスピードはあったのですが、コントロールが難しく安定感がありませんでした。
そのため、デザイナーのマウロ・フォルギエリは、ミッションを横置きとしてホイールベース内に収め、
慣性モーメントを低減することでハンドリングを大きく改善した、新型の312Tを開発します。

ところが、この新型をテストしたラウダからは「このマシンはクソだ」と言われてしまいます。
これは映画「RUSH」でも描かれており、当時のフェラーリではマシンを悪く言うことがタブー視されていることが分かります。
しかし類稀なマシン開発能力のあったラウダは臆することなく言いたい事をいい、オフシーズンの間中テストを続けます。

そして迎えた1975年、序盤こそマシントラブルなどありましたが、
第5戦モナコから、ベルギー、スウェーデンとラウダが3連勝、続くオランダではハントに連勝を止められるも、
さらに第9戦フランスで優勝、第13戦の地元イタリアではレガッツォーニが優勝しラウダが3位に入ったことで、
ラウダは初のチャンピオンを獲得、フェラーリも1964年以来のコンストラクターズタイトルを獲得します。

ちなみに、今回製作したのは連勝をハントに止められたオランダGP仕様で、
レーススタート時のレインタイヤを履いています。

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