HESKETH 308B HOLLAND GP WINNER 1975

CHECKERED FLAG 20001(1/20)









2014年11月13日完成。

1975年のF1GPに参戦したヘスケスレーシングのマシンです。
ドライバーはジェームズ・ハント。
1/20F1キット5作目です。

5作目にしてブラジルのキットに手を出しましたが、パーツが寸足らずだったり、
どう付けたら良いか分からなかったり、指示通り組めなかったりで大変でした。
でも、これが組めれば大概のものは組めるんじゃないかと自信が付きました。

で、マシンについてですが、
ヘスケスでのF1参戦2年目、オランダGPでハントが初優勝したマシンです。
結局ヘスケスレーシングの優勝はこれが最初で最後になるわけですが、
この年は2位が3回などトップチームに食い込む活躍をみせ、
コンストラクターズ4位、ドライバーズ3位という結果を残します。

ハントとヘスケスについては映画「RUSH」で描かれていますので、ご存知の方も多いと思います。
レース好きな貴族であるヘスケス卿の個人資産だけで運営され、スポンサーを持たないチームでした。

幼くして男爵位を世襲したヘスケス卿はレースが好きでF1チームを持つことが夢で、
21歳で財産の管理権を得ると知人の結婚式で出会ったF3ドライバーの
アンソニー”バブルス”ホースリーと意気投合し、彼のスポンサーになります。
しかし、ホースリーはクラッシュが多く戦績も良くありませんでした。
そんな時ハントが二人の目にとまり、ドライバーにハント、マネージャーにホースリー、
デザイナーに当時マーチでF2やF3の設計を担当していた若手のハーベイ・ポスルスウェイトを加え、
ヘスケスレーシングを立ち上げることになります。

ヘスケスレーシングは1973年にマーチ731を購入しF1参戦を開始。
いきなり本家のマーチワークスよりも好成績を残すことに成功します。

翌74年、映画でも描かれた、ヘスケス卿の屋敷の厩舎を改装したガレージで
ポスルスウェイトが初めて作ったF1がヘスケス308でした。
このオリジナルマシンの発表会で、ヘスケス卿はこんな発言をしています。
「バブルズこそ、ヘスケス・レーシングを今の形にした人物だ。
彼がジェームスを駆り立て、ライドハイトやウイングについて考えているうちに
居眠りしてしまうドクター(ポスルスウェイトのこと)をたたき起こす役目を担っている・・・」
彼らの関係性が良く分かる表現です。

当時は空力が意識され始めたものの、
今のように科学的裏づけによった設計というよりはデザイナーの感性による部分が多く、
スポーツカーノーズかウイングノーズかでも意見が分かれていました。
そんな中、当初ヘスケス308はスポーツカーノーズを採用し、
その中にラジエターを置くフロントラジエター方式としていましたが、
ラジエターをサイドに移しオイルクーラーをリアウイング下に収めて重量バランスを見直し、
スポーツカーノーズの先端にウイングをつけたり、サスペンションにスプリングではなくラバーを採用したりと、
独自の方式を取り入れて75年に登場したのがこのヘスケス308Bです。

その75年は、シーズンを通してフェラーリ、ブラバム、マクラーレンなど名門チームと常にトップ争いを演じるようになり、
リタイヤが多かったものの完走したレースは全て6位以内、
特に優勝したオランダGP以降のハントは安定した速さを見せるようになります。
それまでのハントは、トップに出ると後ろが気になりバックミラーに見入ってしまってミスをすることが多かったのですが、
この優勝が彼を大きく成長させたようです。

しかし、高級車やヘリでサーキットに現れたり、
豪華な食事やシャンパンを振る舞いレース後には結果に関わらずパーティを開いたりと、
チームヘスケスの浪費は半端ではなく、75年の終盤にはついにヘスケス卿の資金も底をつきます。
マシンのレンタルや売却を行いスポンサーを募るも、ヘスケス卿は破産に陥ってチームを去り、
パトロンを失ったハントはマクラーレンへ、ポスルスウェイトはウイリアムズへ移籍、
チームは何とかホースリーが存続させるも、マシン開発は進まず成績も伸びず78年には撤退することになります。

その後、
ハントはマクラーレンでチャンピオンを獲得するも以降は下降線をたどり、79年に引退。
93年に恋人へのプロポーズが成功した数時間後、心臓発作でこの世を去ります。
ポスルスウェイトはフェラーリやティレルなどでデザイナーとして活躍。多くのエンジニアに影響を与えます。
99年にはホンダ第3期F1活動のテスト用マシン(RA099)を設計するも、そのテスト中に心筋梗塞でこの世を去ります。
ヘスケス卿はイギリスの上院議員(名誉職として名を連ねる貴族院の)として、
サッチャー時代の保守党で通商産業省の担当大臣、
保守党財団の議長、女王に謁見できる枢密委員など要職を勤め、
1993年から2000年までは英国レーシングドライバーズクラブの会長を務めます。

ちなみに、ヘスケスとハントを知るには、以下のDVDと本をお勧めします。


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